2011年3月11日。東北地方太平洋沖でM8.8M9.0(気象庁から修正されました)の大地震が発生し、宮城・岩手・福島を中心に東日本に大きな影響を与えました。被害に遭われた方々には心よりお見舞いを申し上げます。
私たちが今出来ること (ご協力の程よろしくお願い致します)
関東在住の皆様の過ごし方に関する提案が綺麗にまとめられています。チェックリストは必見。基本は家で待機し、節電に努めましょう、ということです。
また、テレビ等で確認できる通り、現地の被災状況は本当に尋常ではない感じで、被災地の経済的ダメージも計り知れない限りです。僕等に出来る大事なことは募金。
また、アメーバピグでも地震に対する募金を受け付けています。対象アイテムをご購入いただければ、その金額に加え、同額をサイバーエージェント社が拠出した額を日本赤十字社へ募金します。
Googleも災害に関する情報や伝言板等のリンクをまとめてくれています。
また、AWSのエバンジェリスト玉川さん(@KenTamagawa)からは、地震情報、災害救援情報用のWebサイト・サービスのITインフラリソースの提供サポートが可能と呼びかけられています。
2011/03/11の私
※ ここからは、私のライフログです。
僕は、地震当日は、いつもと変わらず渋谷のオフィスで仕事をしていました。これほどの大きな地震に遭遇したのは、1995年の阪神淡路大震災以来です。当時、関西の実家に住んでいたのですが、普段ちょっとやそっとじゃ目を覚まさない僕が、あの日だけは、早朝でしたが、飛び起きたことが印象に残っています。
14:46
その瞬間、私はオフィスビルの8Fで仕事をしていました。
チームの皆に「チームMTGのアジェンダを書いてねー。」とメッセージを送った瞬間、急にオフィスが揺れ始めた。
最近比較的、地震が多いなぁ、なんて思ってたら縦揺れを感知。揺れている時間も長かったので、あ、これはやばいかも、と思った瞬間、大きな揺れが始まる。
すぐさま机の下に入るよう周りに呼びかけ、自分も机の下に潜り込んだ。免震構造のビル(後から聞いたら、震度8でも耐えられるレベルのビルだったとか)なので、物凄く揺れが大きかったが、机の下で屈んでいても、体が振られるレベルで、机の脚につかまっていました。周りの机からは書籍が散乱しはじめたり、オフィスの植物が倒れる寸前で踊っていたり、PCが落下してしまった机もありました。
久しぶりに命の危険を感じた瞬間でした。
14:50〜
揺れがおさまり、すぐさま家族に連絡を取りましたが、当然電話は使える状態ではなかったです。
インターネットは生きていたので、震源地や規模を確認後、すぐさまTwitterのDMから家族に連絡したところ、すぐに妻の生存が確認できました。(自宅も大変だったみたいだけど)
その後、Webサービスの動作確認をしていたところ、ピグの私の部屋に妻のアバターが現れたので、リアルタイムチャットで家の状況を確認したり、こちらの状況を伝えました。インターネットサービス、本当に凄いよ。すごく助かる。
チームメンバーがDC作業で外に出ていたので、何度も電話するものの、やはり電話は使えず。が、DCのPXEサーバから、メールで生存を知らせてくれて、すぐにホッとする。
15:00〜
もう一度、さっきの大地震に近い揺れを感じた後は、小さな余震が断続的に続く。
オフィスの低階層のフロアに非難して待機。非常時の際のアメーバウォータを持たされる。この間に、DCにいるチームメンバーに電話連絡が取れ、無事であることを確認し安心。
インターネットサービスは本当に凄い。この間にTwitterを中心に色んな方の無事が確認できる。
16:00〜
オフィスで待機しながら、ワンセグやインターネットで被災状況を確認したり、今のうちにと、腹ごしらえをするなど。下手に外を出歩いて、ガラスや看板の落下に巻き込まれるよりは、オフィスの大きなビル内でジッとしている方が安全だと思って。本当は、こういう時、何気にDC内にいるのが一番安全ですよね。
オフィスビル下のコンビニでは、カップ麺やパン・おにぎりを買い込んでいる人が多かった。
家が心配なので帰ろうかとも思ったが、電車が一切動いていないのと、その影響で道路も大混雑という話を聞き、今日は帰れないかもなぁ、と考える。
18:00〜
会社では、カップ麺や飲み物などが配給され、オフィスに泊まる覚悟を決めた人もチラホラ。
JRの本日中の復旧が難しい宣言を受けて、今日オフィスに泊まっても明日帰れる保障なんて無いと思い、それならいっそ歩いて帰ってみようかと思った。
会社からは、経費でのホテルでの宿泊可、タクシーでの帰宅も大きな道路を出来るだけ通る前提でOK、が出ていたものの、ホテルはどこも満室状態だし、タクシーも捕まえるのは難しい、とのことなので、とりあえず動きながら考えよう、と。
18:50〜23:00
同じ方面の同僚と共に会社を後にして歩き始めることにする。帰り間際に、非常時用に、とアメーバウォータを2本もらった。
246沿いを延々と歩いたわけですが、車道はもちろん歩道すらも物凄い渋滞。自分のペースで歩けず、花火大会の帰り道のような混雑っぷりが最後まで延々と続く。
ただ、それ以上にひどかったのは車道で、まったく動かない状態。渋谷〜池尻の区間(1駅分)で、歩きながらバス20台は抜かしたんじゃないかな。
とにかく食べ物屋さんやコンビニはどこも大盛況。トイレが使える場所も大盛況でしたね・・・。
家に帰宅するまでに結局4時間ちょっとかかって歩いたわけですが、途中、特に1人になってからはTwitterのTLや多くの皆さんのReply声援に助けられました。
途中、家に比較的近いのマクドナルドを23時前に通過し、閉店している感じでしたが、店員さんがトイレや温かい飲み物の提供をしていて、多くの人が駐車場にいました。こういうのは助かるよなぁ。
あと、前を歩いていた女性が、電話で「保育園に必ず迎えにいくから!」と話していた。そうですよね、急いで向かう手段がないのだから、歩いていくしかない。保育園でサポートされている方も本当にお疲れ様でした。
あと、大きな幹線道路沿いを4時間以上歩き、おそらく200台とか300台とかそれ以上のタクシーを見てきましたが、空車のタクシーは一度も見ませんでした。途中からタクれたらいいな、とか思っていたけど全然甘かった。
いつも電車で20分弱で移動する距離も歩いたら4時間超。改めて近代文明の偉大さを痛感しました。久しぶりに17〜18km歩いたなぁ。足が棒になるとはこの事ですよね。マンションのエレベータは当然止まっていたので、疲労感満載の体に鞭打って登った最後のマンションの階段が何気にきつかったです。
家の玄関に着いたときはホッとしました。住み家が満足に残っていたことと、暖かいお茶・ご飯が食べられたことに改めて深く感謝しました。